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人にはみな物語が必要


『レモンの図書室』(2018年)ジョー・コットルリ作 杉田七重訳 小学館

 A LIBRARY OF LEMONS by Jo Cotterill,2016

くぼたあやこさんのレモンの表紙画が素敵なコチラ。帯に書かれていたこんな言葉も気になって読みたかったんです。

『少女ポリアンナ』『赤毛のアン』『黒馬物語』『アンネの日記』『くまのプーさん』『オズの魔法使い』『穴』『ワンダー』・・・・・・。

本は友だちになれる?

爽やかな表紙とは裏腹に、重たい内容の物語。巻末には読書ガイドもついていますよ~。

【『レモンの図書室』あらすじ】

ママが病気でなくなって、カリプソ(10歳)とパパは二人で暮らしている。人に頼るようじゃだめ。「自分の一番の友だちは自分」、一人でも幸せ。人間は強い心を持たなくちゃいけない、とパパは信じている。そんなカリプソの友だちは本だった。本さえあれば幸せ・・・だったはずなのに・・・。ある日メイという子が転校してきて、彼女と親友になったカリプソは友だちを持つ幸せを知る。メイの家族を通じて、初めて見えてくる歪んだ自分とパパの暮らし。パパは本当に正しいの?本だけでは満たされなくなっていったカリプソの見つけた答えは・・・?

■ 増えるヤングケアラー(若い介護者)

第三世界(発展途上国)?の子どもたちが、家族のために児童労働をさせられている現実はよく知られていますが、なんと先進国でもなんだそうです。

病気や障害を持つ家族の介護や看病をする子どもや若者たち。

イギリスではそんな青少年のことをヤングケアラー(若い介護者)と呼んで、社会問題になっているそうです。イギリスだけじゃない、日本でも。この『レモンの図書室』は、そんな社会問題も取り扱っている作品。

父子家庭なので、もともとカリプソは料理や洗濯をしたり、家事のことをしていたのですが、没頭していたレモンの研究の出版が思うように行かず、廃人のようになっていくパパの世話する様は、大人子ども逆転現象です。胸がきゅーっと苦しくなります。だけど、誰かに相談でもしようものなら、親子引き離されちゃうかもしれないし・・・そう思うと相談もできないのです(涙)。

虐待されているのなら、親子むしろ引き離してもらいたいけれど、カリプソのように親子間に愛情があるケースって、実はもっと難しかったりするんだなあ。

■ 感情にフタをしない!涙は必要!

カリプソとパパの不自然な生活は、徐々に狂気を帯びてくるのですが、その原因は感情にフタをしてしまっていたから。

確かにカリプソのパパはヒドイのですが、いわゆる理不尽な毒親ではないんです。仕事に没頭して買いもの忘れちゃったり、家事はひどいことにはなってますけど、多分もともと興味がないからできないのだろうし、世で言われるネグレクトや虐待ともちょっと違う。だから、余計に性質が悪いというか・・・カリプソも気持ちのやり場に困っちゃうんですね。

結局ママが亡くなった悲しみに、向き合わず、感情に蓋をしてしまってるから、ゆがんできてしまうさまは、『怪物はささやく』(過去記事はコチラをクリック)も思い出します。ちなみに、こちらもヤングケアラーのお話。

押し込めた感情は、必ず暴れ出す。だって、感情は自分(感情)のことを味わってほしいんです。ツライ、悲しいのは悪い感情とか、良い感情とか、感情に良し悪しはナイ。

ママと同じように娘のことを愛したら、また失うつらさを味わいたくない。傷つきたくない。だから、パパは娘を守るために、心のまわりに他人から壁をはりめぐらすよう仕向けるのですが・・・うう、分からなくもない。でも、違うよー!

パパが狂気一直線になるのか、それとも正気に戻ってくるのか、どちらに転んでもおかしくない状況で、最後までハラハラします。

■ 人にはみな物語が必要

この物語を読んでつくづく思うのは、人には物語が必要なんだなあ、ってこと。何かを乗り越えるため、自分の心にストンと落とし込むためには、物語が必要。だから、昔昔から人は神話を創り出してきたんですよね。この世界、宇宙、自分の心の疑問に対する答えを求めて。

歌人&児童文学作家の陣崎草子さんが、「この世界が本当に平和になったとき、物語というものはこの世界からいらなくなるのかもしれない」と言っていた意味が、分かるような気がします。

物語を通じて、小さな一歩を踏み出したカリプソとパパ。ただ、この『レモンの図書室』自体は誰のための物語かと問われると、悩んでしまいます。同じような境遇の子に?

個人的には、直接的すぎて、ちょっとそれは違う気がするのです。カリプソが、同じような境遇の子たちの“大人の世話をする子どもの会”に入れられたとき、反発心を抱いたように。

「ほらネ、あなただけじゃない」と、同じような境遇にある子にこの本を差し出すのではないとしたら、誰に・・・?

そうではない境遇にある私たちのためにあるのかもしれない。そういう子たちを、理解するために。

もちろんカリプソのような子たちにも、いつか、自分の状況を客観的に見る物語も必要になってくるでしょう。でも、きっとそれは周りから「ほらほら」とお節介で差し出されるものではなく、自分から見つけ出すものなのかもしれません。

何が正解なのかは分からないけれど、ツライ状況にある子たちには、世界っていいもんだ、と思えるような楽しい物語を、周りはまず差し出していけたらいいのかな。

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