人生最後に思い出したい姿は?
『川の少年』(2003年)ティム・ボウラー作 入江真佐子訳 早川書房
RIVER BOY(1997) by Tim Bowler
今日の一冊はコチラ。1997年にイギリスでカーネギー賞を受賞した、ちょっと幻想的で詩的な物語。ティム・ボウラーの物語は美しい。ただ、入りこめる人とそうでない人に分かれるかも。
《『川の少年』あらすじ》
ジェスはおじいちゃんが大好きな15才の女の子。夏のある日、そのおじいちゃんが倒れた。最後の願いをかなえるため、家族はおじいちゃんを連れて故郷の川へ向かう。ジェスはそこで、不思議な少年と出会った。その少年に導かれ、ジェスとおじいちゃんの運命は大きく変わっていく。(BOOKデータベースより転載)
年をとると、みな頑固になりがちだけれど、まあ、このおじいちゃんの頑固さはすごい、びっくりするくらい。それでも、家族から受け入れられているおじいちゃん、孫から愛されているおじいちゃん、幸せだなー。
と、作者が伝えたいところではないところにも、まず感心してしまう。自分だったら、こういう風に接することができるだろうか、とか色々考えてしまう。
さて、本当は入院していなければならなかったおじいちゃんは、わがままを言って故郷へ向かいます。病院で死にたくないの、分かるなあ。だけど、周りは大変。
以下、あらわれた不思議な少年のネタバレ含みますので、ご自身で謎解き含め楽しみたい方はここまでで(忠告しましたからね~)。
■ 死が迫ると思い出すことは?
さて、ジェスの前に現れる不思議な少年、一体誰なのでしょう?
素直に考えればすぐ思い当たるのでしょうけれど、私は何かすごい仕掛けでもあるのかな?と逆に考えすぎてしまいました。おじいちゃんが過去に約束を果たせなかった、子ども時代に出会った子なのかな、とか。実は、おじいちゃん既に死んでいるのに、ジェスが受け入れられなくて、一緒に故郷に帰ったという幻想を見てるのかな、とか。(←想像力ありすぎ)
死ぬときって、どの時の自分を思い出しながら死ぬんだろう?天国(があるとしたら)に入るときって、死んだ時点の自分の姿で入るのかな?など、考えたことある人は多いのでは?
なんとなく、人は自分が一番楽しかった時代の姿か、もしくは逆に心残りだった時代の姿、いずれにせよ自分の中で忘れられない時代の姿になるんじゃないかなー、と思っていたので、少年の正体が分かったときは、だよね!って思いました。(←分かる直前まで違う想像してたのに 笑)
■ 思い(魂?)は時空を超える
時間は同時間でもね、例えば誰かを思いやる祈りのような気持ちは、空間こえて、思いやっている人のそばにいると思うし、逆に恨みも伝わる気がしている今日この頃。
だから、生きていてもね、心残りだった時代の‟思い”って霊になって、彷徨っていることってあるんじゃないかな、って思うんです。それが時代を超えて、やってくることって、あるんじゃないかなー。そして、一緒に過ごしたいのは、肉体があった時点ではまだ出会っていなかったかもしれない、大好きな人。だから、時空を超えてやってくる。『君の名は』みたい(笑)。
そういう意味では、この物語は、不思議でも何でもなくて、とっても自然なのかもしれません。
■ 人の一生は川のよう
美空ひばりの名曲にもありましたありました『川の流れのように』。
この物語でも、最後に出てくる川の姿は壮観!チョロチョロと流れる水源から大海へと流れ込む70キロの道のり。小さな流れが大きくて力強い海へとつながる。その光景を、不思議な少年は、川の一生を見ているみたいと言います。
「ここで生まれて、自分にあてがわれた距離を、あるときは速く、あるときはゆっくりと、あるときはまっすぐ、あるときは曲がりくねって、あるときは静かに、あるときは荒れ狂ってながれていく。最後に海に行きつくまでずっと流れつづけていくんだ。心がなぐさめられるような気がするよな」・・・「旅の途中で川にどんなことが起こったとしても、最後は美しく終わるってわかるからさ」(p.197)
途中は美しくなく、闘うことがあっても、最後は必ず美しく終わる。大海に注ぎこむ。そして、水源では、またすでに新しくまれた川が流れはじめる・・・。
なんて、壮大なのでしょう。
自然を見れば、人間の生も死ももっと自然に受け止められるのかもしれません。