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真の勇気ってなんだろう


『オオカミを森へ』(2017年)キャサリン・ランデル作 

 ジュルレヴ・オンビーコ絵 原田勝訳 小峰書店

今日の一冊は、2018年小学校高学年の部での課題図書になっていた本。表紙&挿絵がとってもいいです!雪の中に赤いマントがはえるなあ。

《『オオカミを森へ』あらすじ》

ロシアの森深く、母親とオオカミたちと暮らす少女フェオ。ある日、残忍なラーコフ将軍が現れ、オオカミを保護した罪で母を連れ去ってしまう。少女はオオカミを連れ、元兵士の少年と共に、母を取り戻すため旅に出る。(BOOKデータベースより転載)

原題はTHE WOLF WILDER、オオカミをWILD(野生)に還す人という意味。物語は1900年代初期のロシア。そのころロシアの貴族たちはオオカミをペットにするのが流行している(という架空の設定)のですが、そのうち飼いならされないオオカミに手を焼いて、WOLF WILDER(オオカミ預かり人)に託していくのです。

これがねー、とってもリアリティがあって!架空の職業とは思えない魅力があります。オオカミ気高いものね。飼いたくなる気持ち、分かります。そして、雪の森の寒さや、オオカミの息づかい、気高さが手に取るように伝わってきて、物語の世界観へグッと引き込まれます。例えばこんな感じ。一番高い丘の頂上に立ってみると、目の前に広がるのはどこまでも雪が積もった森が広がるばかり……。

フェオはこうした景色が大好きだった。家の周囲の森はいのちの気配にふるえ、輝いている。森を通る人たちは、どこまで行っても変わらない雪景色を嘆くが、フェオに言わせれば、そういう人たちは読み書きのできない人たちだった。森の読み方を知らないのだ。積もった雪は吹雪や鳥たちのことをうわさし、それとなく教えてくれている。朝が来るたびに新しい物語を語っている。フェオはにっこり笑うと、くんくんと鼻を鳴らし、肌を刺す冷たい空気のにおいをかいだ。「森はこんなにおしゃべりなのにね」フェオはキズアシにむかって言った。(P.43-44)

また、ところどころで発せられる言葉もいい。銃を向けてきた少年兵士に、フェオはこんな風に語りかけます。

「ママはいつも、銃を人にむけるのは想像力がないからだ、って言ってるよ」(P.53)

そうなの!そうなの!フェオ、その通りよ~。

母親との会話もいい。北国には寒さの段階がいくつかあって、その際たるものが「極みの寒さ」。それが来たら、どんなに脚の感覚がなくなっても、とにかく隠れられる場所まで走れ!極みの寒さを恐れない人は愚か者だ、と母親が言うのですが、フェオは納得がいかない。恐れるのは臆病者のすることでしょう?って。

「それはちがうわ、フェオ!なにかをする勇気がない人が臆病者よ。恐れるという行為は、頭と目を使って神経の先まで働かせることなんだから」

「でも、ママはいつも、勇敢にふるまいなさい、って言うじゃない!」

「そうよ。恐れに命じられるままにふるまう必要はないわ。ただ耳を貸すだけでいいのよ、ラープシュカ。恐れを軽蔑してはいけません。世の中、そんなに単純じゃない」(P.128)

こんな感じで、前半は一気に引き込まれる感じで読んだのですが、後半の子どもたちによる革命部分は、個人的には微妙というか、私の心には響きませんでした。

物語なので、子どもたちだけが活躍して、解決するのも、子どもたちに勇気を与えるとは思うんです。でも、前半がリアリティにあふれていたので、そのつもり読んでいくと、後半で、突然架空の国のファンタジーに放りこまれたかのような戸惑い。後半から、友情団結もののアニメみたいに感じてしまいました。それが悪いわけじゃないのですが……でも、文学でやらなくてもいいのかな、って。ジブリあたりでしてくれたら、それはそれでアリかな。

革命なんてどうでもよくて、ただただ母を救い出したいフェオと、フェオを革命の象徴として利用したい少年アレクセイ。彼は人民を解放したいという純粋で熱い思想の持主なので、利用というと言葉悪く聞こえるけれど、ハッキリ言って利用です。あきらめない心、違うと思ったら抵抗する大切さもあるけれど、ここでも男性と女性の受け止め方の違いに、なんだかなあ、という思いを抱きました。

と後半は色々思うところありでしたが、このオオカミ預かり人という魅力的な世界観、ぜひ触れてもらいたいなあ、と思いました。

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