魔女や妖精の息づく時代へ
『魔女とふたりのケイト』(1987年)K.M.ブリッグズ作
石井美樹子訳 岩波書店
装丁・さし絵 ゴーディリア・ジョーンズ
KATE CRACKERNUTS,1979 by K.M. Briggs
個人的に1970年代~1980年代にかけての岩波書店の翻訳ものは、名作揃いだなあ、って感じます。こちらも名作!文章も固めなので、本好きさん向けかもしれません。
ブリッグズの物語に説得力を与えてるのは、歴史小説であると同時に、学問的にもきちんと研究された妖精学や魔女も描かれているから。そこに描かれているのは、個人の頭の中にある空想によるものではなく、当時の人々によりきちんと認識されていたもの。現実のもの。
《『魔女とふたりのケイト』あらすじ》
舞台は、人民が国王を処刑するという前代未聞の人民革命のあった1649年のイギリス。イングランドとスコットランド両国の間には常に緊張が走り、領主のアンドリューは、そんな時代に翻弄される。一方、美しく誰からも愛されるキャサリンは、継母の嫉妬を買い、魔法をかけられてしまう。そんなキャサリンを救おうとするのが、継母の実子ケイト。知恵と勇気で、魔女や妖精たちと戦う少女たちの絆を描いた壮大な物語。
『忘れ川をこえた子どもたち』同様、どこか薄暗い印象の物語で、版画の挿絵もぴったりです!
■ 魔女は野性に近い人
それにしても、魔女たちの宴の場面は印象的。仮面をつけて、裸で踊り狂う。裸なんかい!←強烈。
でもね、一般の人は引いてしまう、グロテスクにうつるその光景も、魔女の女王の娘ケイトは、とてつもなく魅力も感じるのです。本能がうずうずする。
「ここにいるのは、よろこびに夢中になれる人たちなのだと感じた。この人たちの宗教は、気むずかしい牧師のまえでじいっと座っているようなものではなく、自ら参加して激しいよろこびに身をゆだねる宗教、つまり、死や危険を軽蔑して追い出してしまうようなものだと感じた。」(P.84)
ここに出てくる魔女たちは、300歳とか500歳まで生きるような魔女たちではないんです。日常の中に、普通の人のように紛れ込んでる。教会にすら行けるんです。
そして、ケイトの母親においては美しいのですが、それがまやかしの美しさでもないんですよねえ。ケイトの母マックスウェル夫人は、魔女の中でも女王と呼ばれる人物なのですが、もうなんていうか善悪ではくくれない感じなんです。悪魔と契約を交わしているそうなのですが、彼女の美しさはやはり彼女の内側にある凛としたもの、ある種のプライドが滲み出ているように感じるし、自然とのつながりが強い。野性に生きている、それが魔女なのかもしれません。
■ 嘘のない物語
この物語が、なんだか深みがあるのは、そこに嘘がないからなのかな。キャサリンの父アンドリューが、マックスウェル夫人に惹かれたのも、騙されたわけではなく、本当に惹かれたのだと納得ですし、マックスウェル夫人の娘ケイトに対する誇りに思う気持ち、愛情も本物だと思う。
魔女も一人の人間なんだな、というか。途中から、マックスウェル夫人は自分の娘ケイトを思うあまり、継子キャサリンを憎み、どんどんおかしな方向にいきますが、それは現実社会でもよくあること。善悪二元論だけでは、判断できない何かがこの物語にはある。ケルトについて、もっと知りたくなる。
魔女や妖精の存在が、日常の中で普通に信じられていて、尊重されていた時代の人々の精神は、どこか健全な気がします。こういう人々は迷信深いと言われ、どんどん社会から受け入れられなくなっていくのだけれど・・・。
物語なので、小説とは違い、個々の内面はさらりと描かれています。号泣することでカタルシス効果(心の浄化作用)を得たいとか、感情をぐわんぐわんに揺さぶられたい現代人には、こういう物語は受けないのかな。でもねえ、こういう物語って、なんだか人間中心のちっぽけな世界から抜け出させてくれるんですよ。
個人的には大好きでした!