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ニュースが伝えてくれないこと


『瓶に入れた手紙』(2019年)ヴァレリー・ゼナッティ作  伏見操訳 文研出版

今日の一冊は、学校図書にぜひ入れていただきたいコチラ。

家庭文庫をはじめ、素敵な活動をされている“子どもと見る風景”kodomiruさんからおすすめされて、一気読みでした。

パレスチナ問題、ガザ地区と聞いて、私たち日本人はどんなことを思い浮かべるでしょう?

あまりにも遠すぎて正直無関係?宗教ってやっかいだな。いつまで戦ってるのかな?複雑すぎてクラクラしてくる……知るのめんどくさい?

日本人である私たちがパレスチナ問題を扱ったこの物語を読む意味は、どこにあるのでしょう?

《『瓶に入れた手紙』あらすじ》

イスラエルに暮らす17歳の少女タル。歴史と考古学に精通していている平和主義の父親の元に育った。ある日、家の近くのカフェで、パレスチナ人による自爆テロが起こったのをきっかけに、タルは、パレスチナ人の友だちを作ろうと思いいたる。「憎しみ」ではなく「希望」を見出すために。そこで、ガザ地区で兵役につく兄エイタンに託したのは、瓶に入ったまだ見知らぬパレスチナ人の友への手紙だった。同年代の女の子の受け取り手を想像していたタル、しかし、受け取ったのは口汚くイスラエルをののしるガザシマンと名乗る正体不明の男の子だった。やがて不定期に二人はメールのやりとりをするようになっていき……

最初の方法こそ、古典的な瓶に入った手紙でしたが、そこに書かれたアドレスから、二人はメールのやりとりを始めます。とても現代的なので、今の子も読みやすいのではないでしょうか?いや、今の子はLINEの短い単語のやりとりに慣れてるから、メールもすでに古臭く感じるかもしれませんね。

■ 両方の立場から見れる大切さ

さて、この物語がとってもいいなあ、と思ったのは、イスラエル側、パレスチナ側の両方の立場から共感できるからなんです。政治家でも革命家でもない、一般の等身大の少年少女だから親近感がわくんですよねえ。

この両方の立場から物事を見るって、意外と忘れがちなんですよね。

私ね、今でも忘れられないエピソードがあって。あれは私が中学か高校のとき、『メンフィスベル』っていう戦争映画を見て、それなりに感動していたんです。そしたら、兄がボソッと聞いてきた。(正確な言葉はうろ覚えだけど)

兄「感動しただろ?」

私「うん!」

兄「敵に(主人公たちが)やられなくて、勝ってよかった、って思っただろ?」

私「思った思った」

兄「でもな、あれ敵側の国が(映画)作ったら、真逆のストーリーになるんだぞ。

でな、お前はいま応援していた方を、負けろと願ったと思うよ」

!!!

主軸で描かれる視点のほうに無意識のうちに肩入れしている怖さを、そのとき教えられたのです。そんなの分かっているつもりだったけれど、実際は分かって入なかったことに気づかされて、愕然とした。強烈な思い出です。

■ 暴力に勝者はいない

そんな反対の立場から見る大切さを分かっているつもりでも、やっぱりまだ分かって入なかったことを、この物語で思い知らされました。

以前、『ぼくたちの砦』(エリザベス・レアード作 評論社)という物語(そのときのレビューはコチラ)を読んでいたこともあって、私はどうもパレスチナ側に肩入れしがちだったんですね。あんな理不尽な思いしてたら、憎しみが生まれるのも不思議じゃない、って。

だから、ガザマン同様、最初はタルの脳天気さ(じゃなくて誠実さなのだけれど、希望を見いだせないパレスチナ側から見るとそう見える)に、少々イラッともしました。

ツライ、ツライと言ってもイスラエル側は映画にも行けるし、娯楽もあるし、恋愛だって自由。全然マシよね、って。

でも、比べればマシとかそういう問題じゃないんですよね。

タルはその後、目の前でバス爆破テロを目撃してしまいます。タルは無傷、でも、心には深い傷を負ってしまうのです。命が助かったんだから、贅沢言わない……そんなもんじゃあないんですね。

暴力に勝者はいない。戦争は敗者しか作らない。ただ失うことばかり……ガザマンことナイームの言葉です。

■ 個人の顔が見えて初めて変われる

憎しみが消えるのって、もう相手を知ることからしかないと思うんです。例え、国家同士が友好的になっても、個人レベルではすぐには憎しみは消えない。

でも、個人レベルで相手を知ってしまったら?

なぜ私たちがアメリカやヨーロッパで起こったテロに限りない同情を寄せられるかっていうのは、マスコミが亡くなった個人のことを紹介することも大きいと思うんです。あんなに人望厚い人だったのに、あんな優しい子はいなかったのに、って。個人が見えるから、我がことのように胸が痛む。

でも、パレスチナ側が攻撃されたときは?

そんな報道はない。一人一人の顔が見えてこない。

でも、そんなひとくくりにされている人たちに、一人一人がかけがえのない存在だと知らせようとしている人たちもいます。この物語にはガザ地区のNGOで働いている二人のヨーロッパ人が出てくるのですが、彼らのしていることは傷ついた人たちの話をていねいに聞くことなんですね。そうすることで生きる手助けをしている。

国家レベルでの争いを止めるには一人一人は無力かもしれないけれど、傷ついた人に生きる力を与えるという点では決して無力ではない。できることがあると希望をくれます。

ニュースなどの報道や歴史の教科書では、個人個人の顔は見えてこない。

物語にできること、物語の果たす平和への役割はとても大きい、と改めて思わされました。

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