人間世界の根本問題にふれる
- Shino Otsuji
- 2019年1月28日
- 読了時間: 5分

『人形の家』(1978年)ルーマー・ゴッテン作 瀬田貞二訳
堀内誠一挿絵 岩波少年文庫
クリスマス時期に感想をアップしようと思いつつ、タイミングを逃してしまいましたが・・・・・クリスマスの場面も出てきますが、季節問わず、おすすめです。
ゴッテンは、『ディダコイ』読んで、うならされたのですが、読書に慣れていない子だと、最初はちょっと読みづらいかも。今日ご紹介する『人形の家』も、前半はちょっと読みづらく、後半一気に引き込まれる感じでした。
《『人形の家』あらすじ》
小さなオランダ人形のトチーは,「人形の家」に,両親と弟のりんごちゃん,犬のかがりと幸せに暮らしていました.ところがある日,ごうまんなマーチペーンが入りこんできて,思いがけない事件がおこります….真実という大切な問題を人形の家にたくした,美しい物語.(BOOKデータベースより転載)
うーむ、これは!なかなか深いものを心に残す物語です。感情がぐわんぐわん揺さぶられて、大感動!!!とかそういった類のものではなく、ジワジワと静かに深く感じ入る類の物語。
あとがきに、カナダの名高い図書館員リリアン・スミスによる「ファンタジー」論の一部がこんな風に紹介されていました。ミニチュア作りの生活や、一つの時代小説としての魅力もありつつ、それだけではない、と。
「この本は、作中に出てくる登場人物の人形をのりこえて、人間世界の根本問題にまでふれているのである。つまり、善と悪、正と邪、はかなく消えてゆく価値にたいして真実なるもの、などの問題、すべての人に重要な問題なのである。」(「児童文学論」石井・瀬田・渡辺訳)
読む人によって、投影される世界は変わってくるでしょうけれど、個人的に印象深かった場面をピックアップしてみたいと思います。
■ 印象的だった場面①:ああ男性って…
ちゃんとした人形の家がほしくてたまらない人形の一家。ある日、トチ―が犠牲になって、人形の家が手に入れられそうになるのですが、そのときのおとうさん人形とおかあさん人形の捉え方の違いに驚きました。
おかあさん人形のことりさんや、弟のりんごちゃんは、嫌だと気持ちに素直なのに対し、男性であるプランがネットさんだけは違う。なんと、仕方がないと受け入れるのです。自分たちには、上品な椅子が必要であり、トチ―がその椅子を手に入れる方法を見つけてくれたんだから、心苦しいことではあるけれど、ありがたく思おう、と言って。
はいーーーーーっっ???全く男性ときたら!!!
さらっと書かれていましたが、唖然としました。ここでは、自分たちにふさわしい椅子(たかが椅子!)でしたが、世間体と捉えてもいいかもしれません。もちろん、すべての男性がこうではないので、一般化してはいけないのかもしれませんが、こういう感じで戦争も始まるのだよな、と飛躍して考えてしまいました。
女性は、命を最優先に考える。個人そのものを考える。でも、男性は全体を見て、「○○のため」と、自分たちの理想の形のためなら仕方ない、と犠牲は美化される・・・。
怖い、怖い。
■ 印象的だった場面②:善が勝つとは限らない現実
この物語の中には、マーチペーンという、とってもいや~な人形がでてきます。陶器作りの、美しくて気取っていて、子ども嫌い。そう、子どもに遊んでもらうのが人形なのに、子ども嫌いというね!
ホントに憎たらしい人形なんですよ、これが。でも意地悪でも堂々としていて、彼女は彼女で罰が下るわけでもなく、自分の理想通りの生活を手に入れてゆくんです。それが、すごくモヤモヤする。
残念だけれど、すごく現実的です。善が勝つとは限らないんですよね。思い通りの人生を歩める人って、善とか正しいとかよりも、いかに思い込みが激しいかとか、自分のしたいことのイメージが明確か、で決まる気がします。
でも、同時に人(って人形だけれど)の心をなくして「ただのモノ」として存在して楽しいのか、果たして幸せなのか、なども色々考えさせられます。
■ 印象的だった場面③:願うことはあきらめないこと
当然ですが、人形たちに意志はあっても、自分で動くことはできません。動かせるのは、遊んでくれる人間なので。そんなとき、人形たちがどうするか、というと、ただひたすら「願う」んですね。
すると、不思議。強く願っていると、その思いが人間側に通じたりするんです。
こういうことってあるんじゃないかな、って思わされます。また、人形=子どもたち、と捉えてもいいよね、と言ってる人もいます。社会的弱者。使われる側の人間で、何かを変える力を持たない。でもね、「願う」ことはできるんです。強い思い、それは「祈り」と置き換えてもいいのかもしれません。
「祈り」は実は、無力じゃない。
■ 印象的だった場面④:真実なるものは美しい
ここに出てくるお母さん人形のことりさんは、セルロイド製の言ってしまえば安物です。素朴だけれど骨董品的価値のあるトチーとも違って、言葉は悪いのですが、あまり深く物事を考えない、脳天気な人なんですね。
あー、でも、私ことりさんみたいな人知ってる!って思いました。こういう人いる!!!って。
深く考えるタイプじゃない。教養もないかもしれない。愛情だって、素朴すぎて、一見薄っぺらく思われてしまうかも。けれどね、純粋なんです。だから、頭で考えずに行動できるんです。
真実なるものは美しい。
ことりさんの行動に、涙が止まりませんでした。きっと彼女自身は、自己犠牲とも思っていないんだと思います。ただただ、自分の感情に素直だった。忘れないよ、ことりさん。そう言いたい。
これは、大人が読むと、それぞれ色んなことを感じる物語だと思います。ぜひ。
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