愛と憎しみの根っこは同じ?
『ドールの庭』(2005年)パウル・ビーヘル著 野坂悦子訳
早川書房 挿絵 丸山幸子
今日の一冊はコチラ。日本での初版は2005年ですが、原書は1969年初版。
【『ドールの庭』あらすじ】
すべてが灰色に枯れはて、ひっそりとした町、ドール。ここへひとりの女の子がやってきました。魔法で花に変えられた仲よしの男の子を救うため、秘密の庭をさがして旅をしているお姫さまです。謎めいたこの町で、はたして庭は見つかるのでしょうか?そしてお姫さまは男の子を取りもどせるのでしょうか?命の消えた町ドールに希望の花が開くまで。(BOOKデータベースよりそのまま転載)
パウル・ビーヘルはオランダ屈折のおとぎ話のストーリーテラーで、名誉ある児童文学賞を何度も受賞しているんだとか。
全体的には暗いですし、基本的に西欧の善悪二元論みたいな物語が苦手なのですが、『ドールの庭』に関してはアリ!きっと昔話のような感じだからなのかも。グイグイ物語の世界の中へ、読者も引きこまれます。
色々とテーマは盛り込まれてはいるのだけれど、お城や吟遊詩人が出てきて、おとぎ話の雰囲気に謎めいた探しものの旅が加わる。純粋にお話として面白いんです。
特徴的なのは、語り手が次々変わること。女の子の呼び名も「お姫さま」「ぼくのノモノ」「コビトノアイ」「アノコノナ」と変わったりするので、登場人物の誰かに感情移入するというより、自分も吟遊詩人の物語を聞いてる聴衆の一人、という感覚が心地いい。
あとがきで、野坂悦子さんが色々と述べられているのですが、すごいなー。私はそんなに深くは読めてなかった(笑)。例えばね、このように述べています↓
「愛を信じる者=女の子=善」と「愛を憎む者=魔女=悪」が、この物語を動かすふたつの原動力です。けれども愛と憎しみが同じ根っこを持つことも示されています。魔女の好む「銀」を、女の子も、くつやペンダントとして身につけているからです。女の子は同じところで生まれた銀がそれぞれ別の道をたどってしまった、と答えています。『ドールの庭』は、満たされた愛と満たされなかった愛、両方も物語でもあり、そうした要素が作品を重層的なものにしているのでしょう。(P.273)
個人的に印象に残ったのは、戦いの場面。さらりと描かれているのに、あ、勝利してもやっぱり死者は出るんだ、そんな当たり前の現実を突きつけられる。戦いって、きれいなものじゃないんだな、って。
また、最後までそんな悪女の魔女に対して、ある種の情を手放せなかった情けない王さまや、いやらしい小人が何とも言えずいいな、と思いました。現実は、そう簡単に割り切れないよね。
ふわふわしたおとぎ話じゃない。物語の世界観にどっぷりつかりたい時におすすめです。