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許せない人がいるとき


『神の小屋』ウィリアム・ポール・ヤング著 結城絵美子訳 

 いのちのことば社

先日ご紹介した『さよなら、スパイダーマン』では、「いま、ここ」に生きるを問われたのですが、じゃあ、親として自分の子どもを殺した相手を許せるか、というのはまた別問題ですよね。

そこで、思い出したのが、今日の一冊。

敬虔なクリスチャンのママ友から手渡されました。

サンマーク出版から出されてたようですが、私はいのちのことば社のほうを読みました。

翻訳者も違いますね。いのちのことば社(キリスト教系出版社)のほうは、訳者もクリスチャンのようです。

父(神)と子(イエス・キリスト)と聖霊の三位一体(さんみいったい)について書かれています。

児童文学の分野ではないです。でも、キリスト教の学校に通う高校生くらいの子だったら、

疑問に思うことがたくさん書かれていて、オススメしたい一冊。

私自身は中高キリスト教の学校だったので、高校時代は遠藤周作の『沈黙』とか読んでたの思い出しました。

なぜ神は(不条理に対して)沈黙しているのか。

この物語も、そんな問いへの答えになっています。

≪『神の小屋』あらすじ≫

平凡な日常を送る50代の男性、マック。その最愛の末娘ミッシーが休日のキャンプ中に誘拐され、数時間後、オレゴンの荒野の廃れた小屋で血に染まった彼女のドレスが発見される。残されたテントウムシのピンから連続殺人犯の凶行であることは間違いなかった。四年後、ミッシーの遺体さえ見つけられず「大いなる嘆き」から抜け出すことができないマックへ、「あの小屋へ来ないか」という奇妙な招待状が届く。悩んだあげくにマックは意を決し、一人でその小屋に向かう。そこで待っていたのは、人生を変える「神との体験」だった…。

(BOOKデータベースより転載)

自費出版から空前のベストセラーになった小説で、一部のキリスト教からは異端だとも騒がれた問題作なんだとか。

・・・どこが問題なんだか。批判する人は頭固いな~。

これ、神を宇宙に置き換えてもいいと思うので、キリスト教でない人にも普遍的なことが書かれていると、個人的には感じました。

でも、キリスト教のバックグラウンドがないと、理解は難しいのかな?

なぜ不条理なことが起こるのか。

裁かないってどういうことなのか。

赦す、受け入れる、愛って何なのか。

児童文学に慣れていると、前半の描写に気持ち悪くなって、ツラすぎて、なかなか読み進められなかったのですが、神の小屋に主人公が滞在する辺りから、ぐいぐい読めました。

神(パパ)は黒人のママ、イエスはアラブ系の大工の青年、聖霊は東洋系の女性になっていて、そこも秀逸。

映画化もされました。コチラ↓

石田純一の娘のすみれが出演してますね~。

映像化はどうなんでしょうね?見た方に感想お聞きしたいです。

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