不謹慎な想像力?
『砂のゲーム ぼくと弟のホロコースト』(2000年)
ウーリー・オルレブ作 母袋夏生訳 岩崎書店
The Sandgame by Uri Orlev (1996)
今日の一冊はコチラ。
ホロコーストと聞くだけで、避けたくなってしまう人もいるかもしれませんが、ちょっと待って~。
国際アンデルセン賞受賞作家の自伝です。
■ ホロコーストのイメージって?
ホロコーストと聞いて、どんなことをイメージするでしょう?
イメージうんぬん以前に「二度と繰り返してはいけない!」と言いたくなるのは、私だけではないハズ。
部外者は平和を伝える手段として、二度と繰り返したくない悲劇としてホロコーストを知りたがる。それが悪いわけではないし、もちろん二度と繰り返してはいけないことなのだけれど・・・部外者はいかにそこが悲惨だったか“だけ”を知りたがる。
でもね、外国人ジャーナリストに「『ホロコースト』のことばかり訊ねられてうんざりしないか」と聞かれたとき、作者であるウーリーは、こう答えるんです。
「あなたにとって、『ホロコースト』はホロコーストに過ぎないでしょうが、私にとって、それは、子ども時代でした」(あとがきより)
と。そう、これは戦時中を生き抜いたユダヤ人兄弟の子ども時代のお話なんです。
なんか、衝撃でした。
悲惨な中にも色んな思いや思い出があって、それは過ごしたその人の時代なんだな、って。
だからか、ウーリーは、ホロコーストのことも正しく伝えようとする。当初はベルゲン・ベルゼン収容所(あのアンネ・フランクもいたところ)はまだ恐ろしい場所ではなく、最初はそこへ入所したおかげで健康が回復したことなど・・・ただ、数か月後には、私たちもよく知るあの非人間的な恐ろしい場所に変容してしまうのだけれど。
■ 生き抜けた鍵は‟想像力”!
以前ご紹介した『イスカンダルと伝説の庭園』でも、‟想像力”がキーワードになったのですが、今回もキーワードは‟想像力”。
よくね、過酷な状況で生き残った人は、想像力のある人(未来への希望を持つだけの想像力があった人)って言われるのですが・・・。その想像力、私は勝手に非現実的なふわふわした夢のあるもの、楽しいものって思い込んでたのですが、この自伝では見事にそれを覆してくれました。
主人公のウーリーは自分が大冒険の主人公になったと思いながら、数々の過酷な状況を切り抜けていきます。自分が主人公なんだから、死ぬはずない、ハッピーエンドになるって決まってる、ってね。
ただ、ウーリーも弟も戦争ごっこの遊びが大のお気に入り。男の子って根が戦闘好きなのかな・・・?平和とか道徳うんぬん以前に本能的にワクワクするものなのかなあ、戦いって。
相手を射殺する想像したり、死んだ親戚の数を競いたいから、いない親戚をでっちあげたり。
人を殺す想像をするのはよくない、とかそんな道徳的なこと言ってる場合じゃない。
良い想像力も悪い想像力もないんだなあ。不謹慎な想像力でもいいの。
とにかく想像力は生きる力につながる。
想像力があれば、いかなる状況でも、内面は自由でいられる。
昔話では、善悪はあまり問わない。悪智恵でも生き抜けというのが昔話のメッセージ、という小澤俊夫さんの話も思い出しました。
もう一つ驚いたのは、やっと生き延びるだけの食べ物しか与えられない収容所の中で、ウーリーのおばは、学問を教えられる人に自分のパンを分け与え、甥のウーリーに英語を教えてくれるよう頼むのです。ノートもないから、木切れに鉛筆で書いては、木切れを洗って字を消し、また字を書いて使う。
これもね、未来まで生き抜く、収容所出たあと必要だからって想像できたからこそ、できたこと。絶望してる暇なんて、ないんです。すごいなあ。
想像力、常々大事だとは思っていたけれど、道徳関係ない。良いも悪いもない、というのは、私にとっては発見でした。
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