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文学の意味:心が豊かになるとは?


『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』(2011年)

 タミ・シュム=トヴ著 母袋夏生訳 岩波書店

毎月開催しているオンラインおしゃべり会、先月2月のテーマは『手紙』でした。

手紙って戦争文学に多いね、という話になったのですが、疎開などによって、家族がバラバラになることが多いからなあ。

今日の一冊も戦時中から。ユダヤ人であることを隠し、名前を変えてオランダ人のお医者さんの家に預けられたリーネケ。楽しみは、やはりユダヤ人であることを隠しながら離れて暮らす大学教授の父さんから届く手紙。これがね、絵入りでユーモアにあふれ、とおっても素敵なんです(表紙画は実際の手紙の一部)。あの時代に、ユーモアあふれる内容を書けるって、生きる力だなあ、としみじみ思いました。

さて、そんな素敵な手紙なのですが、間違ってドイツ軍の手に渡ったら大変なので、手紙は預かり先のドクター・コーリーに返却しなければいけないんです。焼き捨てて証拠をなくす……。だから、主人公のリーネケは手紙を暗記するんですね。頭や心の中で読み返せるように。

でもね、この手紙の素晴らしさに、ドクター・コーリーもなくすには惜しいと思ってくれていたんですね。密かに地中深く埋めて保管してくれていたんです!戦争が終わったときに、手紙はリーネケの手に戻ることができました。

いまではLINEやメールが主流になって、手紙がどんどん廃れてきています。個人的には、画面上の文字って、やっぱり「情報」になってしまって、なかなか気持ちが乗らないなあ、って思います。

あとね、手紙っていうのはタイムラグがあるのがいい。瞬時のやりとりではないので、その間に相手に思いを馳せる時間があるんですよね。

ストーリーは、わりと淡々としています。もちろん息の詰まるような場面もありますが、悲劇や人間の残酷さに焦点を当てるよりも、それでも人々の中にある日常が描かれている点では、映画化もされた漫画『この世界の片隅に』(←名作です!)に通ずるものがあるかも。

で、押しつけがましくないからこそ、かえって我が身に振り返って色々と考えさせられるんだなあ。果たしてこの時代に生きていたら、私は地下抵抗運動に参加できていただろうか。自分の家族を危険にさらしてまでも良心を貫くことができただろうか。……心の中では非人道的な行いに嫌悪を覚えつつも、表面上は賛成を示し、自分の生活にできるだけ被害が及ばないように見て見ぬふりをする群衆の一人だったのではないだろうか。

ぞっとするけれど、そういう自分の中にある黒い部分をこういう物語は突きつけてくれる。そして、今の時代に生かされている意味を、自分が人としてどうありたいのか、を再考させてくれる。

こういう物語を読むたびに、思い出す言葉があります。それは、『ゲド戦記』をはじめ、数多くの児童文学を翻訳された清水真砂子さんがその著書『あいまいさを引きうけて(日常を散策する3)』(2018年、かもがわ出版)の中で述べられていたこと↓

自分のなかにいろいろな魑魅魍魎がいる - 崇高なことをするかもしれないけれど、恐ろしく愚劣で非人間的なことも平気でやってしまうかもしれない。そういうことを考えること、思い知ることが、心が豊かになるということではないのか。

……中略……

もし、文学に力があるとしたら、疑似体験を通して、そういうことを問い続けてくれることだろうという気がします。自分自身の見たくないところを見させてくれる。そこにこそ文学の意味はあるのではないでしょうか。(P.34-35)

自分だったら……ということを考えさせてくれる物語でした。

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