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賢さ・気高さVS残虐さ


『オオカミは歌う』(1994年)メルヴィン・バージェス作 

 神鳥統夫訳 偕成社

今日の一冊は訳した方が、あとがきで「こんなにうしろめたく悲しい年持ちで翻訳をつづけたのは初めてでした」と述べるほど、確かにうしろめたい気持ちになる物語。

読んでいて後味は悪いです。もうちょっと、ラストとかなんとかならなかったのかな、とも思いました。でもね、たまにはこんな物語もいいのではないかな、と思い直したのは、自分の中で「問い」が生まれたからです。本好きな子なら、小学校中学年からいけるかな。

《『オオカミは歌う』あらすじ》

10歳の少年ベンが、見知らぬ男に、オオカミのことをもらしてしまったのがまちがいだったのだ。その日から、その男、ハンターは、オオカミ狩りに異常な執念を燃やしはじめる。知恵のかぎりをつくして生きのびようとする若き雄オオカミと、イギリス最後の一頭を追うハンターとの死闘の物語。(BOOKデータベースより転載)

もうね、自分の名誉、楽しみのためだけに執拗にオオカミを追いかけるハンターに、気分が悪くなります。ハンターにも色々いる、このハンターが異常な執念を燃やしていただけ……と、思いたいところですが、どうもそうではないみたい。ほかの物語を読んでいても、現代のハンターはやはり「楽しみ」のために狩りをしている人が、残念ながら多いのが現実のようです。

これがね、サトクリフなんかが描く時代(『太陽の戦士』とか)ですと、人間とオオカミの間にあるのはもっと対等で、崇高な感情なんです。闘う者同士という構図は変わらないのだけれど、両者の間に流れているものが違うんです。「楽しみ」のための狩りは、人間のエゴ以外の何物でもなく、その残虐さ&卑怯さには目をそむけたくなる。

一方のオオカミはといえば、本当に崇高な精神の持ち主なんだなあ、と感動!そりゃ戦いますよ。でも、それは家族を守るため。食べて生きるため。無駄に、楽しみのために相手を殺したりなんかしないんです。そんなことするのは、人間だけ。

ふと気づくと、オオカミに肩入れするあまりに、ハンターへの憎しみに近い感情が芽生え、ハンターの死をどこかで願っている自分がいて、ゾッとしました。さすがに「楽しみ」のためという感情はないけれど、私もハンターもさほど変わらないのではないか、と。

そう思うと、ハンターへの批判の気持ちはしゅるしゅるしゅると小さくなり、謙虚な気持ちになれます。もちろん、ハンターの行為はひどいと思うし、なくなってほしいと願うけれど、自分にだってそういうところはないか?と自問。ただ、ここに気づかず、特に子どもなんかは、ハンターへの批判・憎しみの感情だけが増幅する子もいるかも。そう思うと、ちょっと複雑なのですが。

物語の視点が、人間になったり、オオカミになったり、あっちこっちに行き来するので、ちょっと読みづらく感じるかもしれません。ただ、昔話や絵本に出てくるステレオタイプの悪者のオオカミのイメージしかない人が、こういう物語を通じて、オオカミの本当の姿を知ったら驚くのではないかしら。私は驚きました。野蛮なのは、果たしてどちらか。

オオカミの気高さと、人間の残虐さを教えてくれる一冊です。

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