こんな死の受け入れ方もあり
『マッティアのふしぎな冒険』(1998年)R・ピウミーニ作
高畠恵美子訳 広野多珂子絵 文研出版
今日の一冊はこちら。
生と死がテーマであり、臨終にあるおじいちゃんと、7歳になる孫の最後のあたたかい交流の物語。
死とは終わりではない、死んでもずーっとその人の中で生き続けるのだよ、ということを7歳の子どもにも分かるように小さな冒険を一緒にすることで伝えてくれます。
散歩といっても、これ現実の散歩ではなさそうです。
おじいちゃんの肉体の身体はベッドの上にあるので、ファンタジーというのかな。一緒に川に入っていって、ズボンのポケットで魚を捕まえたり、鐘楼の上に登って、町を眺めたり。最後は金貨をめぐって、小さな海賊たちに捕らえらたりとファンタジーらしい冒険もあるのですが、前半の豊かな自然の中でただ散歩しているところが、個人的には好きです。
作者のピウミーニは詩人でもあるからか、文章には合う合わないがある気もします。
おじいちゃんとのやりとりは時に哲学的。例えば、向こう岸に見かけた白馬に近づきたくて、橋を渡りたいのですが、マッティアに対し、橋は近づかないんですね。そんなマッティアに対し、
近づきたいと望み過ぎる、あまりそのことばかり考えると、そこにはつかない。橋を忘れたら、橋はもっと近くなる。
といった具合。また、マッティアが本当はどうしたいのか、自分がどうしたいのかを再度たずねることによって、考えさせるおじいちゃん。散歩が人生を象徴しているのだとしたら、どんな小さな選択も自分自身の意志に基づいてするんだよ、と言っているかのようです。
それにしても、老人と子どもの関係ってやっぱり特別。
なにごとにも鷹揚な態度で、じっとマッティアが自分はどうしたいのか、どう考えているのかを待てるおじいちゃん。
親ではこうはいかないなあ。特にいま夏休みで「おかーさん、見て、おかーさん、聞いて、おかーさん、おかーさん、おかーさん、おかーさああああああん」と四六時中言われ続け、あ~、もう、たまには黙ってぇーーーー、と叫びたくなる時期に読んだので、マッティアの質問攻めには、器の小さい私なんかはイラっとしてしまいました(笑)。おじいちゃんの存在って偉大。
ただ、挿絵のせいか、翻訳の会話の書き方なのか・・・マッティアが7歳にしては幼過ぎる印象なんですよね。印象としては幼稚園児。
散歩している間に、おじいちゃんはどんどん、どんどん小さくなっていってしまって、最後は孫の中に入ってしまいます。そこで、マッティアはおじいちゃんは目には見えなくても一緒にいるという実感を得るんですね。
子どもが死を受け入れるには、こういう心の中の冒険が必要だったのかもしれません。
字も大きめなので、小学校中学年からいけそうです。