成人の日に差し出したい一冊
『大人になるっておもしろい?』(2015年)清水真砂子著
岩波ジュニア新書
成人式ですね。
町は振袖の華やかな成人たちでにぎわっているでしょうか。
私自身の思い出はといえば、寮生活をしていたので、地元には帰らず、大学の友だちとボーリングに行って、鍋囲んで家飲みしてたなあ(笑)。
振袖いらないから、代わりに旅行代にさせて!と親に頼んで、ギリシャ古典の教授と行くギリシャツアー(←マニアックで最高でした!!!)に行ったのでした。
さて、今日の一冊は、そんな成人になる子どもたちにもおすすめした一冊。
もともとは、十代の子に向けたものですが、まさに成人式を迎える子たちにもすすめたい。でもね、一番すすめたいのは、実は、既に大人になっている我々にだったりするんです。
ガツーンとやられますよ。
図書館で借りて、すぐに買いに走りました。周りの知り合いにもすすめまくっていますが、みなさんそれぞれにガツンと来るところがあるようで、反響がスゴイ!
こちらは、物語ではなく、岩波ジュニア新書。『ゲド戦記』シリーズなど、たくさんの良書を翻訳してくれている清水真砂子さんが、思春期の子に向けた書簡という形で書かれたエッセイなんです。目次の副題だけでも、たくさんの問いを投げかけてくれますよ。例えば、こんな感じ(一部抜粋)↓
■けんかってそんなにいけないこと?/ 我慢しない、わすれない、はぐらかさない/「怒り」を手放さない
■ひとりでいるっていけないこと?/沈黙という表現
■悩んだり、悲しんだりって、そんなに避けるべきこと?/ 明るさだけで人は生きられるのかな?
■生意気っていけないこと?/ 傷つく権利
■動かないでいるって、そんなにダメなこと?/受け身が人を生かすことも
いやあ、書かれている内容は、なかなか厳しいです。大人に対して。
年末に忘年会兼ね『悩める思春期男子母の会』(←参加メンバーが個性強い人ばかりで楽しかった!)を開催したのですが、そのときの課題図書にもしました。
これを読むと、なぜ読書がいいのかも分かります。例えば、親子の軋轢。
古今東西、親子がいて、家族がれば、どこでも起こって来たことでした。こうしたことをテーマにどれだけの文学が、絵画が、映画がうまれてきたことでしょう。けれどそこには同時に救済がある。いえ、作品がすでに救済にあっているのです。それなのに、そうした先人たちの仕事を知ろうともせず、勝手に孤立して、自分だけが不幸だ、自分の親だけがひどいと思い込んでいる人のなんと多いことか。(P.23)
「勝手に孤立しているわけではない」と反発されるかもしれません。でも私はさまざまな事情で孤立を余儀なくさせられている人がいることは認めた上で、いま少し自らの手を伸ばせば、この世には私たちを救い出し、時空を超えて他者とつなげてくれるものにちゃんとふれることができるのに、差し出してくれているそれらの手をしっかりつかむことができるのに、と残念に思います。(P.24)
ちなみに、個人的には、夫婦関係のところが一番響きました(笑)。
清水さんの旦那さまって言い方がキツイんですって。で、激昂する夫の物言いが嫌で、もっと穏やかに話してとリクエストしたところ、
「あなたのその言葉が何人の人を殺してきたか、わかるか」(P.25)
と言われてしまうんです。「激しい物言いをする人に対し、穏やかな物言いを求める、その行為の暴力性。穏やかさを求めて何人もの人々の魂を踏みにじっていた」と清水さんは述べます。ガーン。
私も夫の物言いが嫌で嫌で、変えてくれ~!としょっちゅう言ってしまうのですが、結果夫は私から受け入れられたと感じたことはないそうです。(そりゃ、そーだ。受け入れてないんだから)
でも、同時に自分さえ我慢すれば、というのも違う。そこが、難しいんですよね。
別の例えで、古いイタリア映画の『鉄道員』の話が書かれていたのですが、その映画では、家族がみんな少しずつ我慢するんですね。ケンカはさけるべき。穏やかなのが何より。少し我慢すれば、この場は丸くおさまる。でも、気付いたときには、家族ひとりひとりの距離は互いに遠くへだたってしまい、家族はバラバラになってしまうんです!ぶつからなかった結果、壊れてしまうんです!
けんかって、向き合うことなんですよね。それを、いけないものとしてみる現代の風潮。
常に明るくあれ!表現するのがいい!動くのがいい!
まるでポジティブ教。それらを、疑ってみること。
紹介したい箇所がたくさんありすぎて長くなるので、もう読んでみてください(笑)。
最後に、読書について書かれている部分だけご紹介しますね。
文学は、読まなければ気づかずに過ぎたであろう自分の中に潜む闇をさまざまな形で表に引きずり出してくれる。闇の中にあったものは光の中に引きずりだされ、光の中にあったものは、闇の中に引きずり込まれる。
本を読むということは精神という大地を耕して、でこぼこにし、たえず新しい酸素を送り込む作業を意味するのではないでしょうか。心がゆたかになるとは、ただ心が平穏になることだけを言うのではない。それもなくはないでしょうが、自信の内なる闇に気づかされておののくこと。封じ込めたはずの怒りや、押し殺したはずの悲しみの目覚めにふるえること。それもまたゆたかさの中身だと思うのです。心がゆたかになるということは、天国を見ることと同時に地獄を見ることさえ意味しかねない。(P.93)
励まされたり勇気づけられたり、ポジティブな感情になるだけが読書ではない。そして、闇も悪いことではない。まさにゲド戦記の世界観。ガツーンと来る一冊、ぜひ。