データ活用の何が問題なのか
『自分を育てる読書のために』(2011年)小幡章子・脇明子 共著
岩波書店
今日の一冊は、公立の中学校での学校司書さんの奮闘記を元に読書支援の方法を紹介しているコチラ。
というのも、埼玉県三郷市彦郷小学校の読書への取り組みが、ネットで炎上しているから。
実際に自分の目で見たわけではないので、あれこれ言うのはよくないのかもしれませんが、ちょっと思うところがあったので・・・。
■ 見習いたい!読書への取り組み
炎上しているとはいえ、『読書で育む豊かな心と学ぶ力』を掲げている彦郷小学校の取り組みはとっても面白いんです!
廊下に本棚を置いたり、おすすめの本を展示したり、図書館までの導線を作ってるんです。階段にまで本の紹介が。ワクワクする仕掛けがいっぱい!
また、読書傾向が偏りがちだったので、未知の本にも出会ってもらいたいと、読書ビンゴを導入したり、ビブリオバトルをしたり。素敵で真摯な取り組みは、どこの小学校も真似してほしいなあ。詳しくは、コチラの元記事をご覧ください。写真もいっぱい↓
読書の大切さを町をあげて訴えていて、そうだなあと思うところもたくさん。
では、なぜ炎上したのか。
■ 問題はデータベースの活用法。プライバシーは!?
炎上理由、それは、児童ごとの読書傾向を学校側がデータベース化し、把握できるようにしたため。そして、それらのデータ資料を担任の先生に配布して、個別指導もできるようにしているというのです。
おーい!『図書館の自由に関する宣言』に反してませんか、これ?ってことで炎上しちゃったんですね。翌日、校長先生は誤解を招く文章だった、担任に伝わるのは各本の貸出回数と児童が借りた冊数だけ、タイトルやジャンルは知らされない、と言ってますが、うーん、インタビューとずいぶん話が食い違っているような。
いま自分が人に本を勧める立場にある者としては、その人の読書の傾向を知りたい気持ちも、とってもよく分かる。でも、逆の立場からしたら、信頼おける人には自分から聞きたいかもだけれど、先生にその傾向を把握されていたいかっていうと・・・それは、ちょっと嫌。弱みを握られたような気分になって、好きなものが借りれなくなる(笑)。
きっと「一人ひとりの読書傾向を先生が理解した上で指導すれば…」っていう発言も反感を買ったのかもしれませんね。オススメされるのはいいけど、指導はされたくないもんな。
■ データはあくまでも傾向の一側面
データって便利なんですけど、どれだけ各自の心に届いたかまでは表せないこと、忘れちゃいけない。あくまでも借りられてる回数の傾向。回数が多い=人気、ともいえるけれど、話題だから借りた、でも心に響かなかったっていうものもたくさんある。
熱狂的民を生み出したテレビドラマ『おっさんずラブ』(←すみません、ロス中なもんで)だって、視聴率は悪くて、テレ朝の幹部は最初失敗の烙印押してたんですもんね。数字じゃ測れない時代になっているんです。売れてる本=良書、でもないしね。
学生時代全然本を読まなかった、と豪語しているうちの夫は、小学生のころ読書カードに読んでもいない本をたくさん書いて、クラスで一番だった、と自慢おります。←おいっ。
だからね、冊数はあまり関係ないの。
■ それでもしたいお節介
本ぐらい自由に読ませてよ。そう思う。けど、同時に、やっぱり自分では発見できない本を手渡す人もいてもいいんじゃないかなあ、とも思う。
だってね、子どもがスナック菓子が好きだから、とそればかり食べ続けていたら病気になっちゃうでしょう?それと似てると思うんです。
「この人にはこの本!」っていうのは、直感的なものが働くものだと思うんです。それは、日頃のコミュニケーションにも関係しているかもしれない。決して、データから見えてくるものじゃないんです。
上記で紹介した『自分を育てる読書のために』を、とある大御所の方が批判していました。こんなお節介やかれたら私はいやだ、って。放っておいてほしい、って。
それも、分かる。でも、本が苦手な子からしたら、この学校司書さんとの出会いは、一生のうちでも忘れられない出会いになったと思う。泣きながら読みましたもん。
お節介の仕方は考えなければいけないけれど、それでもやっぱりしたいな。
最近『ピーティ』(紹介記事はコチラをクリック)を読んで、いたく感銘を受けた夫が言ってました。「これホントに子どもの本なの?これ読んで育った子と読まないで育った子では、ずいぶんと違うよね。自分は読んでこなかったなあ・・・」ってしみじみと。
手渡されなければ読まなかった本。その出会いが人生を変えることもある。
データから分析して、効率よく広める方法なんてないんです。コツコツ地道に、その人のこと思いながら、手から手へ。だからミミズのような歩みでも響くんだなあ。