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自分でつかみ取る人生


『アリス見習いの物語』(1997年)カレン・クシュマン作 

 柳井薫訳 中村悦子絵 あすなろ書房

図書館でね、この本の背表紙に呼ばれた気がしたんです。なぜ、この本を手に取ったのかワカラナイけれど、時々本のほうに呼ばれることがあります。

これ、ネット書店ではありえないことなんですよねえ。ネット書店は、自分から狙いのものを取りに行くところだから。偶然の出会いがなかなか期待できないから。

あらすじを読めば、14世紀のイギリスの小さな町で、生き延びることに精いっぱいで、名前もなかった少女が、自分を「アリス」と名付け、やがて村の産婆見習いとして、認められていく物語、というじゃありませんか。産婆、つまり今でいう助産師さんです。

なぬ!?私がリスペクトしてやまない助産師さん!

私ね、どうも病院が苦手でして、上の子二人は助産院で、三男は自宅出産していて、助産師さんには大変にお世話になったんです。本当に助けられて、もう女神かと思って、生まれ変わったら助産師さんになりたい!って思ったほどの感動を与えてくれた人たち。心底尊敬してるんです。そんな助産師さんのルーツ、産婆さんの物語だというのだから、興味津々。一気読みでした。

目次をめくるとですね、さまざまなハーブの絵が出ているんです。そう、陣痛促進したり、やわらげたりするのに使うハーブ。実際に効果のあるものもあれば、迷信の組み合わさったものも多いようなのですが、非常に興味深い。

■雑草のようにたくましく生きる

この物語は1996年のアメリカニューベリー賞を受賞しているのですが、個人的にニューベリー賞受賞作品とは馬が合うので好きです。それにしても、この物語、いい人っていうのがあまり出てこないんですよねえ。みな悪い人じゃないのかもしれないけれど、どこかやさぐれてる。貧しい暮らしのせいで。階級社会当時のイギリスの現実を垣間見た気がします。みんなが自分のことで、精いっぱい、余裕がないって、ギスギスした社会になるんだなあ。

そういう意味では、現代もみな自分のことで精いっぱい、ギスギスした社会かもしれません。お金に困ってるわけじゃないけれど、居場所がない子どもがいっぱいいます。そんな子にね、この物語に出会ってもらいたいなあ。だって、孤児アリスには最初、名前すらなかったんです。ブラット(餓鬼の意)とかクソムシと呼ばれ・・・。学がないので、ボキャブラリーも少ないです。自分の感情を表現する言葉を持たない。泣くことも笑うことも知らないんです。

それでもね、それでも!!!アリスは自分の道を見出していくんです。踏まれても、踏まれても、のびる雑草のように。環境をうらんだりせず、ひたすら生きるんです。自分で自分の名前をつけて。すごいなあ。

■心から欲することをして初めて幸せに

面白いなあ、と思うのは、どんなにいい条件が揃っていても、心から自分がやりたいと思うことでなければ、人は幸せにはなれないっていうこと。

自分が本当にやりたいことに気付いたアリスは、あえてツライ環境に戻るのです。そこには、学びたいことがあるから。どんなに師匠となる人がひどかろうと、やりたいことがあればしがみついていくんだなあ。アリスが見習いに入る産婆のジェーンの人間性はどうかと思うけれど、仕事の技術においてはプロだったのだろうな、と推測。

本当にやりたい分野では、人って努力ができるものなんですね。よく、うちの子は努力しない、と親がぼやいているけれど(って私も時々ぼやいちゃうけど)、それって、本人がやりたいことじゃないんですよね。それ忘れないようにしたいと思います。

やっぱり天職ってあるのだと思います。心からやりたいことをしなければ、心が石になってしまうと言っていた『庭師の娘』(感想はコチラをクリック)も思い出しました。

小学校中学年から読めますが、大人にも興味深い一冊です。

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